おはようございます、こんにちは、こんばんは。ブランドクリエイティブ局、アートディレクターの間部です。
今回は先日4月27日の哲学の日に合わせたテーマで執筆しております。
なぜこの日に僕が書くことになったかというと、他でもありません、僕が法政大学の文学部哲学科というニッチな学科を卒業しているからです。在学中は主にニーチェと芸術哲学を専攻していたので、卒論のテーマはその2つと好きな音楽を絡めてなんとか書き上げた記憶があります。読んでいただいた教授からは「こんなにロックと思想を絡めた卒論を読むのは初めてだ」と珍しがられました。
とはいえ大学時代など遥か昔のことなので、この記事では偉大な哲学者の言葉を借りながら、これまでさまざまな壁や課題にぶち当たりつつもなんとかデザインを続けてきた私の経験を照らし合わせ、デザインと哲学の共通点・関係について、私なりに探っていきたいと思います。
そもそも哲学とはなんでしょうか。
哲学の語源は、Philosophia= 知を愛するという言葉が基になっているのは、ご存知の方も多いかと思います。
辞書で引くと
世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問。
とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として究極まで求めようとするもの。
とされています。
哲学は古代ギリシア時代から始まっているのに対しデザインの歴史が160年余りと言われていますので、とても歴史の古い学問です。そして人類が存命する限り不可欠な要素を多く孕んでいると思います。
シンプルに人間はなぜ生きるのか、といった根源的で答えのない問いを2023年もなお、我々は問い続けているわけですね。
アリストテレスの帰納法とデカルトの演繹法
また、哲学には事象をさまざまな角度で観察、推察し答えを出すという、論理学の要素も含まれています。デザインに入る前に、依頼内容や課題、様々なデータに加え、経営者の想いや思考などを整理し、言語・視覚に変換していくといった作業は、良いデザインを出すことにおいてとても重要な作業です。
そして、ビジネスの現場ではさまざまな仮説を基に、提案書に自分の結論を出す術が必要です。ただ、正論だけで人の心は動きません。論理的な思考に客観的な視点やデータ、経験を踏まえ、ロジカルに時に楽しく伝えることが重要だと思います。
ロジカルシンキングの代表的な考え方は、
古代ギリシア時代にアリストテレスが論じた「帰納法」と、
17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが提唱した「演繹法(えんえきほう)」
の二つが挙げられます。
「帰納法」とは個別的命題(前提)から普遍的命題(結論)を導く方法で、複数の事実や事例から導き出される共通点をまとめ、共通点から分かる根拠をもとに一つの一般論を導き出す方法です。
例えば、
・製品Aは男性に売れている
・製品Aは20代に売れている
・製品Aは東京で売れている
ここから導き出されるのは、
「製品Aは東京の20代の男性に人気がある」という結論になります。
このように、クライアントの業界のことを調べ、その業界ならではの慣習や、特徴、課題を分析し構成を探っていく作業は一種の帰納法のような考え方と言えるのではないでしょうか。
帰納法は、結論に導くためのメリットやデメリットなどをなるべく多く集めることで、最終的な結論を説得力のあるものにすることができます。
一方、「演繹法」とは、A(一般的仮定)とB(観測事実)によって C(結論)が導き出される三段論法を基本とする一般論と観察事項によって結論を導き出す思考法です。
例えば、
A (一般的仮定 )→ Aは時価総額で世界首位の企業
B(観測事実) →BはAの製品である
C ( 結論 ) →ゆえにBは人気がある
というように、「A = B」かつ「B = C」であれば、同時に「A = C」である、ともいうことができます。
帰納法との違いは、帰納法が「複数の事象の共通点」から結論付けるのに対し、演繹法は「複数の事象を関連付けて」から結論を出していきます。
演繹法は一般的仮定と観測事実が間違っていると結論も変わってきてしまうため、最初に結論を考え、結論に向かって一般的仮定と観測事実を整えて行くようなイメージです。
デザイン先行でかなり尖ったデザインの提案をする場合、結果から逆算して演繹法を用いて事象や理論をまとめて提案を仕上げるといったこともありますし、より説得力のある提案にするために、演繹法と帰納法を同時に行う場合もよくあります。
この二つの考え方は「自分のデザインを通す」という、デザイナーにとっては切り離せない作業においてとても有効ではないでしょうか。
ニーチェに学ぶ批判的精神
なぜ進路に哲学科を選んだかというと、幼い頃から生死を意識する機会が人より多かったからかもしれません。元々内向的な性格でしたし、内省する時間は多く、物事を判断するのにとても時間がかかっていました。どうして自分だけ人より燃費が悪いのか、納得する答えが出ないならやらない方がいい。そう自分を追い詰めることがよくありました。
加えて完全な文系だった為、文学部のどこかを選択するとなった時に、どうせならその問いに向き合ってみようと哲学科の門を叩きました。環境が人を形成するというのは本当にそうだと思っています。そんな私が実存主義の哲学者、ニーチェに惹かれるのは当然だったかもしれません。
「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。」
そんな言葉を残した19世紀に活躍したドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは多くの名言を残していますが、ニーチェを支えていたのは強烈な批判精神です。
「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」「”真実”の追求は、誰かが以前に信じていた全ての”真実”の疑いから始まる。」
”絶対”を否定する、この言葉に出会えた時に、自分が昔から思っていたこの感覚は間違っていなかったと震えるほど嬉しかった記憶があります。
物事に絶対はないと考えたり、様々な角度から事象を見るようなことはあいにく自分が生まれ持った性格によるものだと思いますが、プロジェクトのRFP(提案依頼書)を最初にいただいていたとしても、プロジェクトが進み対話を重ねる中で必要であればスコープや要件を見直し、クライアントが本当にしたいことを再定義するようなこともありました。事実、「その視点はなかった」、「そういうことが言いたかった」「本当にやるべきことはそれだった」というお声をいただくこともあり、その後も信頼感を持って納品まで進んでいったこともあります。
ニーチェは人生を肯定してくれる言葉が多く、若者に特に人気がある哲学者です。数年前に「超訳ニーチェの言葉」がヒットしたのも記憶に新しいですが、その他にも「永劫回帰」、「ルサンチマン」「神は死んだ」「ニヒリズム」、など興味深い思想が多くあり、初心者でも比較的読みやすいと思うので一度触れてみると良いかもしれません。
「すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。」というニーチェに倣い、この文章もAIチャットボットに頼らずに書いています。
カントから学ぶ意思決定の真善美
「よく見なさい。美とは取るに足りないものかもしれない。」
哲学を学ぶのとは関係なく、デザインに興味を持ったのも大学時代でした。18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントが三大批判書と呼ばれる『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の中に書いた”真善美”という考え方があります。
真善美とは、”知性(認識能力)、意志(実践能力)、感性(審美能力)という3つの指針を最高の状態に引き上げることが人間として目指すべきである”といった考え方です。
この3つの価値観はいつの時代も変わらない普遍的な指針であり、何かを判断する時に一つの軸を示してくれます。
例えば、この真善美を、Webサイトに置き換えると
"真”(認識) → 認識的な使いやすさ → UI / UX
”善”(倫理) → 倫理的な正しさ → アクセシビリティ
”美”(審美) → 視覚的な美しさ → ビジュアル、タイポグラフィ、配色
といったことに置き換えられ、知性を持ってUI/UXを向上し、倫理上の正しさであるアクセシビリティに配慮し、感性を持って美しく作り上げる、この3つが調和したデザインが優れたWebサイトと言えるのではないでしょうか。
何をもってクリアしているか判断するのは難しいですが、意思決定の指針としても真善美という思想はとても有効な判断軸を示しているように思います。
またカントの思想の中で興味深いのは、二律背反(アンチノミー)という考え方です。二律背反とは、”ある命題とその否定命題とが共に、正しい論理的推論で得られる場合の、両者の関係" のことを言います。
例えば昨今に見るAIの問題。技術の革新により、便利で効率的なものを得られる反面、仕事の喪失や倫理、著作権の問題も数多く散見されます。技術の進化にはこういった課題が常に帯同していますし、AIに限らず、これまで二律背反を孕んでいたものの放置されていた多くの問題も明るみに出てきました。哲学と売上、伝統と革新、美しさとコスト、品質とスピードなど相反するアンチノミーはビジネスの舞台でも常に考えなければならない命題です。
その2つを同時に追求し、乗り越え、よりクリエイティブな着地点に納めることもデザイナーの責務と言えるのではないでしょうか。
まとめ
19世紀を生きていたニーチェは「次の2世紀(20世紀と21世紀)はニヒリズムの時代である」と予言していました。それは、それまでの絶対的な価値や基準などが、すべてなくなるということを意味しています。
また、ドイツの化学者パウル・クルッツェンは産業革命以後の約200年間に人類が地球の生態系や気候にもたらした影響はあまりに大きく、「完新世」はもはや人類中心の「人新世」になっていると提言しています。
近年の”VUCA"と呼ばれる先が見えない予測不能な環境において、GoogleやApple もインハウス・フィロソファー(顧問哲学者)を雇用しており、先進的な企業も「哲学」を重視していることがわかります。
確かに我々が子供時代に絶対的なものだと考えられていた価値観や大きな力が揺らいでいるような事件やニュースが続いていますが、それに対して人類はこれが絶対的に全て正しいという答えを打ち出すことができないように思います。
そのような時代の中で、我々デザイナーはそれでも答えを出さなければいけない職責を背負っています。前提を疑い、Whyから考え、与えられた時間の中に知識と経験と技術を注ぎ、出したものが全て。デザインに嘘はつけません。
"論理的思考”と”批判的精神”を持って、二律背反な前提の中に納得できる”真善美”を見い出すために、日々精進していきたいものです。忙殺されて行く日々の中で、ふと別の思索を探求したい時、一度哲学について考えてみてはいかがでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。